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高原
【たかはる】


旧国名:日向

霧島連山の東方に広がる台地上,大淀川支流高崎川流域に位置する。南西端には霧島山高千穂峰がそびえ,南端に御池がある。当地は古くから霧島山の火山活動に大きく左右されてきた。地名の由来は不明だが,「三国名勝図会」は「土俗伝へ云,当邑を高原と号するは高天原の略称なり」とあり,高千穂峰の高天原神話に関連するという。蒲牟田には霧島山信仰にゆかりの狭野神社・霧島東神社をはじめ神武天皇誕生の伝承地皇子原がある。狭野神社には国天然記念物のブッポウソウ繁殖地があり,ブッポウソウが渡来してくる。西麓に高原城(松が城)がある。古来,この地は,霧島山麓を通って日向国から大隅国府に通じる交通の要衝であった。中世初期には建久8年の「日向国図田帳写」に見える島津荘寄郡320町の中に入るのか,同じく島津荘一円荘三俣院のうちに入るのか明らかでない。「三俣院記」では「夫日州諸県郡三俣院者霧島山之面(ママ)者境飯(ママ)肥者境高原,去鹿児府凡十六里,建武年間肝付八郎兼重領主,号三俣八郎,其後至徳年間和田土佐守入道正覚領」とあって,三俣院に入るとしている。また「真幸院記」には「夫日州諸県郡真幸院有為霧島山之北面,東者境小林,北者境求摩,西境栗野,流六里也,去ルコト鹿児府ヲ凡十五余里,冬寒強水深而小川田地流,四里余而稲熟ルコト宜」とあり,さらに「島津家列朝制度」では「吉田・馬関田・加久藤・飯野・小林已上五ケ所,真幸院ニテ候」として,高原は真幸院のうちに含まれていない。近世以前の境域についてはのちの蒲牟田川下流の高崎郷をも含んでいたのではないかと考えられるが,明らかでない。郷自体は,高原城(松ケ城)を中心にいくつかの村をあつめて1つの外城(のちの郷)支配組織がつくられたものと思われる。
高原(中世)】 戦国期に見える地名。
高原郷(近世)】 江戸期の郷名。
高原村(近代)】 明治22年~昭和9年の西諸県郡の自治体名。
高原町(近代)】 昭和9年~現在の西諸県郡の自治体名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7235376