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深堀小屋(近世)


江戸期の村名深堀村ともいう(積達大概録)中通り北部,安達太良【あだたら】山東麓の高原地帯および山岳地帯に位置する安達【あだち】郡のうちはじめ会津領,寛永20年からは二本松藩領玉井組に属す村高は享保21年86石(積達大概録)村名は村内を深溝が流れることによるという(相生集)安達太良山麓に湧出していた温泉の湯元に温泉小屋が建てられ,領内外からの湯治客でにぎわった享保21年には家数26軒,温泉小屋は約30軒で,うち1軒は領主普請,温泉坪は7つでうち5つは領主普請(積達大概録)この温泉は文政7年の大山崩れにより死者63人を出して倒壊し,この時の温泉小屋住人54・湯治客142(嶽山崩一件)であった特産品は氷餅・硫黄・湯の花(相生集)文政11年の大積覚書帳によれば,畑作物は大豆・小豆・ダイコン・ソバを主とし,農間余業としては割木請負・萱直芦・氷・凍大根・薪・竹ノ子など当村は「天保郷帳」には「古ハ嶽の小屋」と注記があって見えるが,「天保郷帳」には見えず,永田村の注記に「古者永田村・深堀小屋 弐ケ村」とあるこのことから,年未詳だが,永田村に含まれたものと思われる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7269928