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臼杵湾
【うすきわん】


豊後水道西岸のリアス海岸最北部にある湾。佐賀関半島の地蔵崎(じぞうさき)(関崎(せきざき))と楠屋鼻(くすやばな)間,湾口は約17km,南西へ約13km湾入。北側寄りに蔦島(つたじま)・黒島・三ツ子島,湾央に津久見島などがある。江戸期には湾内に「臼杵七島」と呼ばれた丹生島(にうじま)・竹島・松島・磯島・産ケ島(うぶがしま)・森島・鵜鷺島(うさいじま)が点在していたが,竹島(津久見島)・松島・産ケ島を除いた島は,明治以後の埋立による市街地化で消滅。昔,臼杵湾には時々鯨が入った。明治初年に湾岸の大泊(おおとまり)で捕えた中津浦大鯨は40両で売れたという(臼杵物語)。大浜・中津浦・大泊などには幕末から明治初期にかけての鯨の墓がある。慶長元年の大地震では湾奥部の臼杵では,地震とともに津波が押し寄せて辻の広場から二王座まで波が上がったと伝えられる(臼杵物語)。また,安政元年11月5日の「御会所日記」に「今申ノ半刻過(午後4時)地震,一方ならず大いに動く,御城中心処々御破損これあり。御城下方々大破につき両月番はじめいずれも登場,程なく沖鳴動洪波(津波)打寄せ来り,辻井戸辺まで打あげ御堀端の石垣のかつら石など打ち返し,道洗い崩す。大手門内外も潮入込み祇園洲過半潮ひたし低き所は通行なりがたし」とあり,その時は祇園洲(ぎおんのす)では船で避難したともいわれる(臼杵物語)。現在,湾岸の小入江には,小黒(こぐろ)・佐賀関・白木・玉井・室生(むろう)・田ノ浦・上浦・佐志生(さしう)・下ノ江・中津浦・臼杵・板知屋(いたちや)・風成(かざなし)・鳴川・坪江・深江・東深江・破磯(はそ)・清水・泊ケ内(とまりがうち)の港・漁港があり,半農半漁の集落が点在。なかでも南岸の板知屋・風成はカジキマグロの突きん棒漁業の基地として知られる。また北西側の下ノ江港は,深さ5mの小型船の好錨地であった。港内では,タイ・ブリ・サワラ・イサキ・イカ・イワシなどの漁獲がある。湾奥に臼杵市の市街地が発達。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7607822