コソボ紛争

セルビア共和国に属するコソボ自治州の90%を占め、独立を要求するアルバニア人と、これを認めないセルビア共和国との対立。1998年3月初めに対立が表面化し、99年6月に和平が成立した。紛争の発端は、89年3月、セルビア議会が共和国憲法修正案を可決して、コソボ自治州の権限を共和国に集中したことに求められる。自治権を奪われたアルバニア人は、同年12月に文学史・美学の研究者イブラヒム・ルゴバを指導者としてコソボ民主同盟を結成し、自治権の復活を要求した。セルビア側は認めていないが、91年9月には住民投票が実施され、「コソボ共和国」の独立も正式に宣言された。92年秋には、「コソボ共和国」の議会選挙と大統領選挙が実施されて、民主同盟が第1党になり、ルゴバが大統領に選出された。ルゴバはコソボの独立を最終目標としながらも、自治権の回復を掲げて、非暴力及びセルビア当局との交渉路線をとり、この路線がアルバニア人の間で大きな支持を得た。しかし、96年9月に、当時のセルビア大統領ミロシェビッチとルゴバとの間で結ばれた、初等・中等学校でのアルバニア語教育を認める「教育協定」の不履行を契機として、コソボの状況が変化する。特に、大学でのアルバニア語教育を求めるアルバニア人学生の不満が強かった。こうした青年層の不満が、武力によるコソボの独立を目指すコソボ解放軍(UCK)支持につながった。穏健路線をとってきたルゴバも、独立要求を前面に掲げだした。98年2月末から3月初めにかけて、ユーゴスラビア連邦のセルビア治安部隊が、コソボ自治州の首都プリシチナ西部地域を拠点とするコソボ解放軍に対して、大規模な掃討作戦を展開した。これ以後、両者の激しい戦闘は長期化し、99年3月、NATOによるユーゴ空爆が開始された。空爆は78日間も続き、85万人のアルバニア人難民が発生。一方、セルビアも人的・物的に多大な被害を受けた。同年6月のコソボ和平後、アルバニア人によるセルビア人やロマに対する報復攻撃が続き、20万人以上が難民となった。和平を履行するために、民生部門を担当する国連コソボ暫定行政支援団(UNMIK)が置かれ、軍事部門を担当するNATO主体の国際部隊(KFOR)が派遣された。06年1月にルゴバ大統領が死去、後任にファトミル・セイディウが選出された。

![]() | 朝日新聞社 「知恵蔵2009」 JLogosID : 14846340 |




