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網走支庁
【あばしりしちょう】


(近代)明治30年~現在の支庁名。はじめ北海道庁,昭和22年からは北海道の下級官庁。北海道の東部。管轄地域は,北見国網走・斜里・常呂(ところ)・紋別の4郡。管内南部を千島火山帯が走り,知床半島を東から,知床岳・硫黄山・羅臼岳・遠音別岳・海別岳が連なる。また,連山の西端には斜里岳があり,その西斜面を斜里川・止別川が貫流し,両川下流域に濤沸湖がある。西部には北見山脈がそびえ,これらの東斜面から湧別川・常呂川などが貫流し,下流域にサロマ湖・能取湖などを形成している。積雪も少なく,年間平均降水量が全国で最も少ない。比較的温暖だが,1月下旬から3月下旬にかけて沿岸部では,シベリアから襲来する流氷によって全海面が白い平原と化する。内陸部では大陸性気候型の激しい温度差のため土壌凍結などがみられる。明治30年代に入ると内陸原野の植民地区画の払下げが進み,明治30・31年の屯田兵600人,自発的開拓団体北光社員100余人の入植開墾を手始めに,それまでの沿岸漁業にかわる農業の発達がみられた。同36年までに畑1,700万坪,牧場地8,800万坪が有志者に払い下げられ,小作を入植させた地主経営,大型牧畜経営の展開をみた。同44年の国鉄池田線,大正5年の湧別線野付牛~下湧別間の開通と相まって,それまでの自給自足農業から,市場ルートのあるハッカ・麦類・バレイショ・菜豆・アオエンドウが栽培され,海外へも輸出された。特に第1次大戦でロンドンの農産物が暴騰したため,エンドウ・ハッカ・バレイショ・アズキなどの作付けが北見地方で増大し,成金も出て当域の農業経営の基礎が固まった。第2次大戦後ビート・タマネギの生産が加わり,酪農業も振起した。昭和38年の耕地9万4,800ha,生産高はバレイショ34万8,000t・ビート39万t,乳牛飼育2万9,700頭,牛乳生産6万4,500t。同58年には耕地11万1,446ha,バレイショ81万1,000t・ビート111万4,000t,乳牛9万5,600頭,牛乳29万6,900tとなる。また阿寒・大雪山・北見の森林地帯では,パルプ用チップ,合・単板,床板,割ばしなど特殊加工が行われている。またオホーツク海・サロマ湖・能取湖を中心とした漁業では,サケ・スケソウダラ・カレイ・ホタテ貝などが中心で,昭和57年には31万3,900tの漁獲高となる。近年海洋漁業から湖沼を中心とする養殖漁業への転換がみられる。管内には,知床国立公園をはじめ阿寒国立公園・網走国定公園・天塩岳道立自然公園・斜里岳道立自然公園のほか,5つの自然休養林と観光資源に恵まれる。なお,明治43年の戸数1万1,416・人口5万348。世帯数・人口は,大正15年3万8,228・20万5,063,昭和38年5万7,236・27万8,483へと増加,同40年から離農による過疎が進行。現在の管轄地域は,北見市・網走市・紋別市のほか網走郡・斜里郡・常呂郡・紋別郡の23自治体。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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