イトムカ鉱山
【いとむかこうざん】

網走地方留辺蘂(るべしべ)町字富士見にあった水銀鉱山。留辺蘂中心部から約50km,無加川の支流イトムカ川の上流に位置した。大雪山系では,昭和11年3月の大暴風で多数の風倒木を生じ,その活用を目的に武華岳山麓に道路を建設中,同12年辰砂鉱(硫化水銀鉱)が発見された。北海道工業試験場鉱床調査部により有望な水銀鉱床と確認され,昭和14年野村鉱業の出資で本格的な開発に着手した。当初の製錬はレトルト炉によったが昭和16年山元にヘレショフ回転炉,同17年には留辺蘂町にレトルト炉第3精錬所を新設,1日50tの処理能力を持つ浮遊選鉱場は同19年に1日300tに増強された。第2次大戦中には起爆剤・火薬製造原料としての需要から昭和16年に年産110t,同19年には196tを生産,道内の4水銀鉱山全体の85%を占め,東洋一といわれた。昭和16年には置戸(おけと)鉱山(置戸町)の鉱業権を取得,支山とした。戦後は蛍光灯・農薬などの加工原料となり,有機合成化学や薬品・農業・電機業界の需要が増え,昭和27年から生産が回復,同31~35年には年産150t前後を維持し,昭和35年の従業員は550人に達した。その後,価格の低下と資源の枯渇から昭和38年には100t台を割り,同40年代には公害問題などによる需要の減少,価格低下が起き,同45年8月には坑内採掘を大幅に縮小,製錬所ではアラスカ鉱石を中心とする新操業方針がとられ,230人の従業員が解雇された。昭和48年6月には坑内採掘・製錬業とも中止,鉱山の歴史を閉じた。その後は製錬炉を生かし,水銀を含み廃棄困難な産業廃棄物の処理を続ける。昭和14~21年の生産実績は粗鉱量9万4,899t,品位0.6%,含有量56万5,708kg,昭和22~38年は61万5,766t,0.3%,192万5,170kg,昭和14~38年の製品量は268万3,195kg。鉱石は自然水銀と辰砂で,その産出比は7対3程度。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7000657 |