北
【きた】

(近代)昭和30年~現在の佐呂間町の行政字名。もとは佐呂間町の一部。明治34年測設されたサロマベツ原野区画の中央部に当たり,同45年以後,当地付近は中サロマ・中佐路澗・中佐呂間と称された。昭和8年中佐呂間と称されていた地域が中佐呂間(中佐呂間市街)・東区・北区・西区の各地区に分割され,同30年北区は字北となる。なお北区は中佐呂間北とも通称された。明治39年岡山県の団体33戸が入植,うち4人が定住。同年愛媛県から2人が移住,当地開拓の草分けとなる。同42・43年と相次いで来住者があり,のち移住者は次第に増加。明治39年サロマベツ原野7線29号に佐呂間神社の前身である祠を建立,大正13年5線29号へ,更に昭和19年中佐呂間市街(現字宮前町)に遷宮。大正8年袖山幸助が水稲試作に成功。昭和4年灌漑溜池,約13町の水田を作り,のちの水田耕作の基礎をなす。昭和12年相馬神社建立。同年北会館建設。同24年有線放送開始。同30年佐呂間高校(昭和23年遠軽(えんがる)高校中佐呂間分校として創立)が当地に新築移転。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7002430 |