鎖塚
【くさりづか】

網走地方端野(たんの)町緋牛内(ひうしない)の菊地坂にある塚。明治24年の北見道路の開削時には網走分監の1,100人余りの囚人が工事に動員された。労働は苛酷を極め,「逃亡セル者ハ斬殺,病囚ハ斃レテソノ屍ハ風雨ニサラサレタ。夏期数月ノ間死者一百以上ヲモッテ葬スルニ至ル亦惨ナラズヤ」(網走分監沿革史)と記される状態で,工事殉難者の数は212人に達したという(北海道歴教協編:掘る)。このため鎖つきの屍体に土をかけた土まんじゅうが開削路の沿線にでき,後に鎖塚と呼ばれるようになった。緋牛内~越歳間は第二工区に当たり,坂の中腹に3つの土まんじゅうが残っていた。昭和43年に中沢広端野町長夫婦が鎖塚と地蔵を建立,昭和51年には鎖塚供養碑が立てられた。北見道路開削に伴う供養碑はこのほか,北見道路の起・終点に当たる網走市二見ガ岡公園の「国道開削殉難慰霊碑」,網走地方白滝村北見峠の「北見道路殉難慰霊碑」があり,また網走地方遠軽(えんがる)町瀬戸瀬には山神供養碑がある。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7002704 |