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専念寺
【せんねんじ】


渡島(おしま)地方松前町字唐津にある寺。真宗大谷派。山号は西立山。本尊は阿弥陀如来。開創は天文2年,本願寺9世実如法主の弟兼俊法師の孫真徳が奥州遊化の際,渡道して知内の真藤寺に留錫し,真宗を弘通したところ,時の領主蠣崎季広が深く帰依して大館に一宇を建立したのに始まる。真徳に嗣子がないため,天文5年,蠣崎季広の第4子真勝を専念寺2世とした。この時から領主蠣崎(松前)家と専念寺の血脈と法脈を介した結合が始まる。天正2年,本山より一貫代の本尊を受け,元和5年の寺町造成の際に,大館から現在地に移転し,その立地にちなんで西立山と号した。慶長9年,松前慶広は本山に木仏を請い,翌10年に丈2尺5寸の木仏像を下付され,慶広は同年これを寄附した。その木仏像は当時,秋田浄願寺に安置されていたのであるが,それを秋田浄願寺の原初は蝦夷島に建立された浄願寺(康正元年に秋田に移転)であることを理由にして,藩主権力を盾にして奪取したものであった。安永6年,山号を青竜山に改めたが,安政の初め再び西立山に復した。専念寺は「領内門徒ノ儀ハ往古ヨリ東本願寺一派」(北海道寺院沿革誌)といわれ,中世以来の領主権力と本山との保護を背景にして独占的な教勢を発揮し,その中世~近世に造立された末寺掛所の数は17に及んだ。すなわち,西教寺(文禄2年)・浄応寺(寛永7年)・浄玄寺(寛永7年,後の函館別院)・掛所順正寺(承応2年,後の江差別院)・掛所相沼専念寺(元禄2年,後の蓮花寺)・円通寺(宝永5年)・掛所戸切地専念寺(享保元年,後の東光寺)・掛所熊石妙選寺(享保3年)・掛所吉岡専念寺(享保6年,後の専称寺)・掛所乙部専念寺(宝暦10年,後の専得寺)・掛所上之国専念寺(明和3年,後の清浄寺)・掛所石崎専念寺(明和7年,後の法香寺)などである。藩からの財施も文化4年に米15俵が支給されていたこと,あるいは文久元年に函館掛所浄玄寺を本山へ借上げた手当として,以後毎年金50両を給された例をみるように,その経済的保護も厚かった。明治元年の兵火で焼けたが,同23年に再建落成し,同26年頃の檀家数は600戸,境内地は3,500坪であった。寺内には歴代法主の裏書のある画像や,松前道広書の屏風,経蔵,孝明天皇の装束類などがある(松前町史・北海道寺院沿革誌)。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7004560