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飯豊村
【いいとよむら】


旧国名:陸奥

(近世)江戸期~明治9年頃の村名,三戸郡のうち。「いいどい」(享和3年仮名付帳),「いんどい」「いんで」とも呼ぶ。馬淵(まべち)川の支流熊原川上流域に位置する。「いいとよ」はフクロウ(梟)の古語であるが,村名との関連は不明。村内に湧水があり,井出などという語と関係があろう。盛岡藩領。三戸通に属す。村高は,天和2年「惣御代官所中高村付」84石余(歩付1割6分9厘9毛),安永6年「三戸御代官所惣御村三十三ケ村小高覚」113石余(うち御蔵高15石余),「邦内郷村志」113石余(うち給地97石余),「天保8年御蔵給所書上帳」114石余(御蔵高15石余・給所高98石余),安政3年「三戸通神社仏閣地名書上帳」114石余,「旧高旧領」122石余。なお「正保郷村帳」「貞享高辻帳」「天保郷帳」「安政高辻帳」には当村の名が見えない。「邦内郷村志」によれば,家数54,集落別内訳は飯豊31・野田(面)9・級ケ実8・長沢4・梨木2・馬数91。「本枝村付並位村」によれば,位付は下の下,家数43,集落別内訳は本村35・梨子木3・級呑5・安政3年「三戸通神社仏閣地名書上帳」には往還より左熊原川を隔五丁程,家数43・人数141(男77・女64),枝村の之実(まだのみ)5軒・26人,野面(のおもて)16軒・58人,長沢2軒・4人,四十渡4件・17人。明治元年弘前藩取締,以後黒羽藩取締,九戸県,八戸県,三戸県,斗南(となみ)藩,斗南県,弘前県を経て,同4年青森県に所属。明治初年の家数36,地味は下で畑勝ち,粟・稗を糧食にするという(国誌)。明治12年の「共武政表」によれば原村の字飯豊として戸数55・人口278(男142・女136),水車1,馬60,物産は米・麦・雑穀・薪・木材。明治9年の改正青森県学区割では当村の名が田子(たつこ)村の枝村白板村とともに原村に統合されて消滅し,字の名として残っており,明治9年頃に原村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7009900