稲荷町
【いなりちょう】

旧国名:陸奥
(近世~近代)江戸末期~現在の町名。江戸期は八戸城下の1町で,武家地。城下の北西に位置し,東は徒士(かちし)町,西と北は糠塚村,南は荒町に隣接する。町名は北にあった稲荷神社に由来する。江戸末期に糠塚村の地を割いて作られた町と考えられる。「八戸藩勘定所日記」安政4年5月17日の条に新稲荷丁と見え,藩士の屋敷替えを記載している。明治初年の「国誌」では稲荷町として家数12。明治初年~明治22年まで八戸を冠称する場合があった。同22年八戸町,昭和4年からは八戸市に所属。明治27年の「八戸実地明細絵図」には,穀物商の精米所がみられる。同30年には当町に八戸印刷が開業,ほどなく長横町へ移転した。大正2年8月,当町北側の糠塚地内に八戸産馬組合が設けられ,その正面通路となった。このため第2時大戦前までは牛馬宿などもみられた。昭和33年八戸産馬組合跡に八戸遊園地が開園,同39年からは市へ移管となった。地内にあった八戸タワーは同43年の十勝沖地震で上部が折れ曲がり,以後閉鎖された。昭和期の世帯数・人口は昭和5年・68・138,同35年99・448。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7010009 |




