王余魚沢
【かれいざわ】

旧国名:陸奥
古くは「かるいざわ」ともいい,饗沢・餉沢・軽井沢・鰈沢とも書いた。浪岡川上流右岸の山間部に位置する。同川の上流は早稲鮒川と片子沢川に分かれる。地名の「かれい」の意味に関しては,鉄の産出の意,干し飯つまり旅人が昼餉をとる意,物を背負うの意,渓流の細路の意の4説があり,このうち第2・第3の意味が重視されている(王余魚沢資料沿革史)。戦国期,当地に浪岡御所北畠氏譜代の重臣軽井沢源左衛門掾が住み,軽井沢は浪岡四天王の1人という。北畠氏時代,この地に遊郭が繁盛していたといわれ,遊女お松と恋人権太郎の秘話が語られている。この伝説に関係する長者森・尾形森・五段幕・傾城ケ窪・坊主畑(権太郎畑)という地名が存する。地内に強清水という廃村があり,北畠氏の重臣桂林(強清水恵林)が刃剣を製作し,後年「津軽浪岡の住森宗」と称したという。天文年間の津軽郡中名字に「強清水」とある(津軽一統志)。地内の高陣場山は古戦場で,所伝では第1回は元中2年秋,南部氏が源常浪岡丸(長慶天皇)攻撃の時(浪岡名勝旧蹟考),第2回は延徳4年津軽則信がここで南部氏によって謀殺(津軽俗説選),第3回は新城城主橘次氏が弘治年間に南部勢と戦って戦死(浪岡名勝旧蹟考),第4回は横内城主提弾正が津軽為信を狙撃(永禄日記),第5回は天正13年名久井日向の敗兵が集合,第6回は三代利右衛門,新城源次郎の乱の古戦場(南部世譜)。この辺りでは饅頭石を産する。こぶしから鶏卵ぐらいの大きさの石で餡のように灰青色になっており,これにまつわる伝説も多い。大鰐町早瀬野の摺鉢石や乳井の鈴石とともに津軽三珍石といわれる。
【饗沢(中世)】 戦国期に見える地名。
【王余魚沢村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【王余魚沢(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7010592 |




