川守田
【かわもりた】

旧国名:陸奥
河森田とも書く。熊原川下流の左岸に位置し,熊原川と猿辺川とに挟まれた地域に集落が散在する。地内の寺の沢遺跡からは縄文早期,関根遺跡からは縄文前期~後期,東張渡遺跡からは縄文前期~中期の土器片が出土する。字関根の「関根の松」は樹齢370年の名松で,県天然記念物。川守田館は三戸城の北西約200m,字館にある。台地が東北方へ突き出た部分を館としたもので,南西部には空堀が設けられていた(一部現存)。広さは東西・南北とも約100m,南西部以外の周囲は低地で比高差15~20m。川守田常陸入道正広の居館。元亀3年3月,後の26代南部信直が川守田毘沙門堂に参詣した際,継嗣問題で不和の養父晴政に襲撃され,信直は危急を逃れ,川守田館に非難した。また天正10年信直が26代を相続し,25代晴継の葬送の帰途,九戸政実の三弟九戸行実に襲われ,川守田館に非難したともいう。「川守田系図」によると,川守田氏はもと河森田とい,建久2年南部光行に従い,甲州より下向,川守田の地を賜ったという(参考諸家系図)。
【河森田(中世)】 戦国期に見える地名。
【川守田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【川守田(近代)】 明治22年~現在の三戸町の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7010627 |




