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上町
【かんまち】


旧国名:陸奥

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は黒石城下の1町。黒石陣屋の北に位置し,東は横町,西は元町に接する。町人地。明暦2年,弘前藩の分家黒石領の成立に際し作成された「明暦2年検地帳」に当町の町人の名請地が見られ,陣屋の成立当初から町立てされていたと考えられる。商人町。享保年間の黒石府家之図では家数29。黒石領主から酒造株札を得た加藤孫兵衛聞届造酒高1,000石のうち,150石分は当町の工藤治右衛門が醸造している。当町の旧家に蕎麦屋五十嵐長太郎が知られている(烏城志)。文化3年の黒石火消組五ケ組(浅瀬石川郷土志)では,前大工町・後大工町・徳兵衛町・寺小路・下町・上横町・油横町を統轄する上町組を組織していた。天保7年,上町組町人は当町の米商人近江屋善助・山崎善兵衛に米の安売りを強要し,5人が捕縛された(黒石地方誌)。幕末から明治にかけて,私塾に漢学・習字などを教える上田穂堂,同筆蔵の上田塾があり,男180・女80が学んだ。また藤本堅蔵,同園茂の寺子屋は寺子数男40・女30,盛佐一郎の寺子屋は寺子数男10。明治初年~明治22年は黒石を冠称する場合もあった。明治初年の「国誌」によれば,戸数85(うち上之小路2・中之小路6・下之小路6),町の規模は東の横町から西の元町まで長さ5町23間3尺・幅3間5尺,ほかに北の徳兵衛町に通じる上之小路は長さ1町4間半・幅3間3寸,同じく北の徳兵衛町と寺小路に通じる中之小路は長さ50間・幅2間4尺,中之小路の西あり徳兵衛町に通じる下之小路は長さ43間・幅2間4尺8寸,中之小路より南の内町に通じる内町之小路は不浄門小路とも称し長さ1町6間・幅3間3尺5寸。明治7年,郵便取扱所を設置。同17年の戸数75・人口407(烏城志)。同22年黒石町,昭和29年からは黒石市に所属。明治23年の当町の規模は東西2町35間・南北1町32間,戸数66,倉庫23。以後の戸数・人口は,同28年77・453,大正元年83・425。明治34年仏人宣教師レーノ来町,当町に教会を建設した。昭和20年県立黒石保健所開設。同22年引揚者更正マーケットを当町に開く。同50年の人口292,同55年の人口231,就業人口は,第2次産業10・第3次産業114(黒石市の統計)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7010654