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佐井
【さい】


旧国名:陸奥

下北半島西北端,津軽海峡に注ぐ大佐井川と古佐井川の河口に位置する。背後に山岳が迫り,急峻な海崖および海岸段丘よりなる。沖合に弁天島がある。天然の良港をもち,山林資源と海産物に恵まれ,その積出港とて,また北海道への渡航地として古くは繁栄した。地名の由来については,「日本書記」斉明天皇5年3月の条に阿部比羅夫が飽田・渟代・蝦夷とともに「胆振鉏(いぶりさい)蝦夷廿人」を集めて供応したとあり,この鉏を佐井に比定する説や(陸奥郡郷考),朝鮮から日本海沿岸を経由して当地にもたらされた鉄製農具の名に由来するという説(胆振さいの古地名について/うそり1)などのほか,アイヌ語説では,「サン・イ」に由来し,サンは山から浜へ下る意,イは何々する所の意,つまり川内方面より湯の川を越え,流れに従って佐井に下るうためこのように称したとする説(陸奥下北半島史)や,「サル・イ」で開きたる場所の意とする説(陸奥下北半島地名考/旅と伝説11)などがある。集落は,古くは古佐井川の上流にあり,船の航行もみられたが,山火事のため肌山となり,水量も涸渇したため,現在の位置に移ったという(佐井村誌)。大佐井川はともに佐井から派生した川名と思われる。古佐井川は小佐井川とも書かれ(国誌),大佐井川に対して小佐井川と称していたのが,集落の発生において小佐井川流域が古かったことから古佐井川と書くようになり,それぞれの河口の集落を古佐井・大佐井と称するようになったと考えられる。地内の地名の中には源頼義にまつわるものが多く,菅江真澄「牧の冬枯」にも,「大佐井によこたはりさし出たるを矢越といふ,頼義のきみ,ひきめありたりけるゆへ今も崎の名によぶ,其箭,磯なみにたゞよひ寄り来るとて,磯矢といふ」と伝承を伝えている。また頼義が腰を下ろした所が地内原田の腰掛八幡宮であるともいう(佐井村誌)。このほかアイヌ語に由来するとする説では,原田は「ハル・タ」または「アル・タ」で食料を採る所,あるいは「パル・タ」で広き砂地の意であるとする。地内磯谷は「イショ・ヤ」で岩磯の所,矢越は「ヤ・グシ」でヤは陸地または岡の意,グシは通るの意で,浜を通れぬため岡の上を通ったことから名付けられたとする(佐井村誌・陸奥下北地名考)。なお,磯谷は磯屋・磯矢とも書かれた。地内矢越には男矢越岩・女矢越岩という2つの巨岩があり,古くから航行の目標とされた。同岩について菅江真澄「奥の浦うら」に「二の鳥居に,木の枝をかぎとしうちかけたるは,けさうするねがひなり」という伝承が見え,このことより同岩は鍵掛岩・願掛岩・神掛岩とも書かれる(佐井村誌)。周辺の標高20~40m程の海岸段丘上に,主に縄文中期から後期の遺物を出土する古佐井黒岩遺跡,八幡堂遺跡,大佐井糠森遺跡がある。八幡堂遺跡は江戸後期より知られ,縄文前期から弥生前期までの複合遺跡で大木系土器,黒曜石製品などのほか,田舎館式土器,石庖丁,閃緑岩製太形蛤刃石斧も出土している。康正3年下北図に「佐井」と見え,当地付近に橋が描かれている(東北太平記/みちのく双書3)。
佐井村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
佐井村(近代)】 明治22年~現在の下北郡の自治体名。
佐井(近代)】 明治22年~現在の佐井村の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7010971