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南宗寺
【なんしゅうじ】


八戸市糠塚にある寺。臨済宗妙心寺派。山号は月渓山。本尊は釈迦如来。八戸城の南の守りとして多くの寺社を集めた長者山(標高45m)の西斜面に所在する。八戸南部家の菩提寺。寛文6年5月本寿寺(八戸市類家)の隣に建立されたのが始まりで(八戸藩史料),同年12月には九戸郡軽米村(岩手県軽米町)の内で100石の寺領が給されている(南宗寺文書/八戸市史)。開山は東厳,開基は八戸藩初代藩主南部直房。山寺号は直房の父(盛岡藩2代藩主南部利直)の法号南宗院殿月渓晴公にちなむ。寛文11年6月現在地に移転,この時盛岡から22人の大工と7人の木挽きを呼び寄せている(八戸藩史料,八戸藩日記/八戸市史)。寛文8年の直房死後霊廟の建築が進められ,延宝元年9月に完成(八戸藩日記)。元禄12年10月には直房夫人から唐様の釈迦本尊が2代藩主直政寄進として下付されている(同前)。領内十か寺とその中でも格式の高い内五か寺のそれぞれ筆頭で,正月には藩主の前で家老から年頭の書が渡されるのが例だった。「八戸藩日記」には延宝3年5月3日条をはじめ,しばしば藩命により雨乞・日和乞などの祈祷を行っており,寛延2年7月には当寺を始めとする10か寺に五穀豊穣の祈祷を命じている。元文4年山門が再建され(市文化財,切妻造の四脚門),天保元年閏3月には本堂が再建された(八戸藩御用人所日記/八戸市史)。「江戸幕府寺院本末帳集成」によれば,山城国妙心寺(京都市右京区)の末。明治4年11月南部家が神葬祭に改め長者山新羅神社(長者山頂に所在)を霊社と定めた際には,歴代藩主の位牌の下付を願い出ている(起家扶所日記/八戸市史)。境内に隣接する長社山麓にある八戸南部家墓所は県史跡。寛文4年八戸藩創設以来の藩主ならびにその家族の墓所で,初代直房から9代信順室麻子(明治9年没)までほぼ同形の五輪塔15基が建てられ,ほかに角柱石塔20数基などがある。八戸城大広間に使用したと伝えられる杉戸15枚・桐戸2枚,直房夫人から寄進された二十五条袈裟1肩,和算用算木,八戸藩算術師範神山由助の孫久明が明治25年奉納した真法軒流和算の算額はいずれも市文化財。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7012183