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新井田
【にいだ】


旧国名:陸奥

新井田川下流の右岸に位置し,南を新井田街道が東西に走る。地内の字館平から縄文早期の土器,字重地から縄文前期の土器,塩入・寺沢からは縄文後期の土器や須恵器,また市子林および石橋からは土師器・須恵器などが出土。当地は中世に根城南部氏一族の新田氏の所領であった。「三翁昔語」に根城南部氏5代政長の子息として「二は彦次郎政持〈後に左馬之助と称す,新田之祖〉」と見え,新田氏は政長の第2子政持を祖とするという(新編青森県叢書4)。建武5年5月11日の浅利清連注進状によれば,建武3年の戦いに「比内郡凶徒新田彦次郎政持」が南朝方として参加しており(遠野南部文書/岩手県中世文書上),新田氏を称していることから,南北朝初期に新田氏は新井田城を築き当地に居住していたとする説がある。新井田城跡の北西に当たる後庵に古館と称する館跡が残り,新田氏の旧城とも伝えられる。永禄10年頃と推定される8月6日の東政勝書状案の宛所は「八戸新田殿〈御返事〉」となっており,三戸南部氏の家臣東政勝が新田政盛に対して櫛引氏と根城南部氏の抗争や三戸南部氏の内紛の調停を申し入れている(遠野南部文書/岩手県中世文書中)。新田氏は根城南部氏の最有力家臣であり,根城南部氏に後嗣がない時は新田氏から入嗣した。天正20年6月11日の南部大膳大夫分国内諸城破却書上に「〈同(糠部郡之内)〉新田 平地破 南部彦七郎持分」と見え,当地の新井田城は天正20年破却された(聞老遺事/南部叢書2)。ただし,「南部諸城の研究」によれば,新井田城は根城南部氏19代彦次郎直栄の持分とし,同年には破却されず根城破却の後同氏が新井田城に移ったとする。
新井田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
新井田(近代)】 明治22~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7012194