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弘前県
【ひろさきけん】


(近代)明治4年の県名。明治4年7月14日,廃藩置県により弘前藩領を継承して成立。県域は陸奥国津軽郡のうち黒石藩領(黒石県)を除いた地で,「県史」8によれば826か村(草高32万9,673石余)。当時の戸数5万162・人口27万8,842(ママ),うち男14万2,085・女13万6,657,うち農・工・商を除いて士2,066戸・1万2,469人(男5,869・女6,600),卒2,261戸・1万215人(男4,648・女5,567),社家117戸・799人(男387・女412),873社,寺院269戸・726人(男590・女136)であった(藩制一覧)。また,反別5万2,434町余,石高32万9,673石余,租税高は米15万8,273石余・金5,401円という(県史8)。同年9月5日,七戸・八戸・斗南(となみ)・黒石・館(旧松前藩)の5県を統合し,新たな弘前県が発足した。県庁は弘前城内に置かれた。県域は,陸奥国津軽・北・三戸3郡の全域と二戸郡内の1,103か村・草高41万2,153石余,陸中国のうち九戸・紫波2郡内42か村・草高1万9,052石余,岩代国伊達郡内39か村・草高4万746石余,渡島国のうち津軽・福島・桧山・爾志(にし)4郡内50か村・無高である(県史8)。また,戸数約8万3,000,人口約47万3,000で,県の大参事として熊本藩士出身で戌辰戦争の際に官軍参謀を勤めた野田豁通が任命された。弘前県への5県統合は,八戸県大参事太田広城と斗南県少参事広沢安任が南部地方の両県の経済的窮乏を救うために政府に建言したことによるという。同年9月23日,弘前は南部地方を治めるには遠隔すぎるとして県庁を青森町に移し,青森県と改称した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7012671