広田組
【ひろたぐみ】

旧国名:陸奥
(近世)江戸期の弘前藩の組名。貞享4年の総検地後,遣に代わって新たに設置された行政区域25組の1つ。津軽郡田舎庄のうち。津軽平野の中部,岩木側の中流右岸に設置する。五所川原遣の系譜を引くものとみられる。貞享4年検地の水帳数覚によれば,組内の村は七ツ館・広田・真黒屋敷(まぐろやしき)・唐笠柳・日本柳・石岡・吹畑・漆川・姥萢(うばやち)・湊・五所川原・喰川(しよくかわ)・新宮・種井・長橋・川山・沖飯詰・桜田・田川・赤堀・高瀬・鶴ケ丘・藻川の23か村であった。元禄3年の村は,上記に岡田・平井・柏原・半田・川元の5か村を加えて本村23か村・枝村5か村の計28か村で,家数607(庄屋23・百姓364・水呑218・新田百姓1・山宇1),代官は斎藤弥次兵衛と外崎伝右衛門であった(平山日記)。宝暦~明和年間頃の親村12・寄郷16,庄屋12・五人組34,手代2(弘前市史)。明和元年の藩律によれば,組内の村数28,戸数1,370余・人口9,700余とある。寛政改革の藩士土着政策によって,組内28か村のうち10か村に在宅藩士が居住した(御家中在宅之族村寄)。寛政7年広田・柏木・赤田・藤崎の4組の代官所は,赤田組の板柳代官所に統合された(平山日記)。同8年の津軽郡諸組民力消耗表(県租税誌)に,組内の面積は田方1,010町9反・畑方203町4反,貢米1万1,245俵余,給地高388俵余,高懸畑銀納5貫497匁余,人口4,513・戸数782,馬900とある。明治2年の諸組村寄帳(弘前図書館郷土資料目録7)には,所属村として広田村・七ツ館村・真黒屋敷村・岡田村・湊村・姥萢村・半田村・唐笠柳村・二本柳村・吹畑村・湊川村・石岡村・桜田村・沖飯詰村・川山村・種井村・喰川村・平井村・柏原村・五所川原村・長橋村・新宮村・川元村・赤堀村・田川村・高瀬村・鶴ケ岡村・藻川村・下福井村が見え,ほかに枝村として姥萢村に猫淵,漆川村に馬所,喰川村に鎌屋,長橋村に中泊り,鶴ケ岡村に品木があげられている。明治6年の大区小区制への移行に際して,組内の村は青森県第5大区4・5小区に編入された。現五所川原市の一帯に比定される。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7012685 |