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船沢村
【ふなざわむら】


(近代)明治22年~昭和30年の中津軽郡の自治体名。岩木山の東南麓,岩木川左岸に位置する。蒔苗(まかなえ)・富栄・細越・折笠・宮館・中別所の6か村が合併して成立。大字は旧村名を継承した6大字を編成。役場を富栄に設置。村名は,村内の東北端にある中世の城館である中別所館跡にある塹壕を通称船沢と称しており,これにちなんだものという。明治24年の戸数312・人口2,453,厩38,学校1(徴発物件一覧)。また,富栄に寺院1が記されており,これは旧三ツ森村にあった感応寺(日蓮宗)を指すものと思われる。学校は富栄の富栄尋常小学校があった。同小学校は明治32年富栄尋常高等小学校と改称,同41年校舎全焼,同42年細越に移転,校舎新築。昭和6年折笠に移転,校舎新築。村の中央を大浦村から高杉村を経て北津軽郡板柳村方面へ抜ける道(現主要地方道五所川原岩木線)が通っている。当村と弘前市の間には乗合馬車が往復したものと思われる。昭和14年当時は弘前バスが弘前~船沢間を運行していたが弘南鉄道に買収され,同16年弘南バスが創立されたが,この路線は引き継がれている。しかし,第2次大戦終戦前後にこの路線は廃止されたものと思われるが,昭和23年に再開している。昭和16年富栄尋常高等小学校は船沢国民学校,同22年船沢小学校と改称し,舟沢中学校を併置。同25年富栄に船沢中学校移転。昭和15年中別所の一部から弥生が起立し,合計7大字となる。同16年岩木村の一部を当村に編入,同24年高杉村との間で境界変更実施。同26年大浦村との間で境界変更を実施し,その際当村に編入した大浦村鼻和の一部が当村の大字鼻和となる。昭和3年の「県総覧」によれば,田地は350町歩・畑地は218町歩で,地味豊沃にしてリンゴの栽培に最も適し,産物の主なものは米・リンゴ・榲桲・蔬菜・洋梨などとみえる。世帯数・人口は,大正9年453・2,845(うち職業別人口は農業2,538,工業139,商業58,交通業14,公務・自由業34,その他62),昭和15年594・3,787,同25年の人口4,824。同30年弘前市の一部となり,村制時の7大字は,同市の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7012792