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来迎寺
【らいこうじ】


八戸市朔日町にある寺。浄土宗。山号は紫雲山。本尊は阿弥陀如来。弘安3年乗誉了本が小田村臥竜ケ岡に開創したと伝える。「国誌」は正和2年誉了の開山という。紫雲山来迎寺縁起(八戸市新井田の松橋家蔵)によると,根城南部氏在城時その重臣新田氏の信任を受け,永享8年小田村から新井田村今町に移り,寛永4年新田氏の遠野移転により八戸廿八日町裏町へ移転したという。「雑書」承応3年4月29日条に見える廿八日町浄土寺類焼の記事は当寺のことと考えられる。延宝6年4月2日の大火でも焼失している(八戸藩日記/八戸市史)。元禄4年2月には来迎寺替屋敷として常泉院本屋敷が下されており(同前),この頃現在地へ移転したのであろう。元禄13年八戸藩初代藩主南部直房の三十三回忌に本寿寺(八戸市類家)後ろの向田屋(直房火葬の地)で,夫人霊松院を施主として阿弥陀仏の石像を造立し,当寺15世一誉円廓が導師となって供養した(八戸藩史料)。現在この石仏は当寺本堂前に安置されている(市文化財)。翌14年には3代藩主通信の生母浄生院の位牌を数年間安置供養したことを賞され,玄米30俵が寄進された(同前)。浄生院は母が新井田村松橋家の出といわれ,新井田と縁の深い当寺に位牌を納めたのであろう。寛保4年の諸寺院寺号山号帳(八戸市立図書館蔵)には「一,三拾石〈御蔵米三拾俵 盛岡大泉寺末寺 紫雲山〉来迎寺」と記されている。領内十か寺の1つで,藩命によりしばしば雨乞・日和乞の祈祷を行った。また「遊行日鑑」延享元年8月28日条に記されるように,遊行上人廻国の際はその宿所とされ,「八戸藩日記」では正徳3年・安永元年・寛政4年・嘉永2年にそれぞれ宿泊の記録がある。元禄15年6月善光寺の出開帳の際も宿坊を仰せつかっている(八戸藩日記)。寛保3年の「奥州南部糠部順礼次第全」では,来迎寺如意輪観音堂は糠部三十三観音第10番札所とされている。現在は三十三観音像を安置する。昭和47年廿八日町から当寺に移された地蔵堂は,寛文7年初代藩主直房が閉伊郡中里村(岩手県岩泉町)から湊上ノ山(現十王院)に移し,さらに同12年廿八日町に移したものとされる(八戸藩史料・八戸祠佐嘉志写)。江戸中期来迎寺晩鐘は八戸八景の1つだったが,現在鐘楼はない。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7013368