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安庭村
【あにわむら】


旧国名:陸奥

(近世)江戸期~明治4年頃の村名。岩手郡のうち。阿庭村とも書いた(安政高辻帳)。矢櫃川とその支流域雫石盆地南西部に位置する。地内の戸沢館遺跡は中世に雫石地方を領した戸沢氏の居館址と伝える。盛岡藩領。雫石通に属す。村高は,「正保郷村帳」108石余(田97石余・畑11石余),寛文11年の検地では390石余(繋村肝入館市家留書),「貞享高辻帳」127石余,正徳6年は515石余(同前),「邦内郷村志」527石余(うち給地406石余),文化7年は527石余で,うち給所高374石余・蔵入高148石余・寺社領4石余(雫石代官所中使上野長蔵書上帳),「天保郷帳」829石余,天保8年は580石余,うち蔵入高197石余・給所高375石余(御蔵給所惣高書上帳),「安政高辻帳」665石余,慶応2年の検見では田500石余・畑183石余で,年貢高は田161石余・畑21石余(御検地雛形帳/高橋又助家文書)。天保10年の給人は赤沢庄左衛門104石を最高に10名である(知行所書上)。なお,「仮名付帳」には当村の枝村として鶯宿(おうしゆく)村・南畑村が見える。正保元年以降繋村肝入の管下にあった。「邦内郷村志」では,家数118,馬312,用之沢・鳥谷森など11集落が見える。「本枝村付並位付」によれば,位付は上の上,家数149,集落別内訳は本村23・杉ケ崎6・町場19・矢櫃19・九十九沢9・大面3・戸沢15・天沼11・片子沢12・矢川7・片平2・用ノ沢17・除10・鳥谷森6,ほか集落名を記さない9軒がある。慶応2年検地帳では戸数172であり,戸数の増加や生産高が伸びていることがわかる。特産品として木材があり,山林には矢櫃・戸沢御山があり,御山守によって管理された。元禄8年雫石御山奉行所の役宅がつくられた。慶応2年の藩校作人館の設立にともなって,当村にも学田の割り当てがあったが詳細は不明である。明治元年松代藩取締,盛岡藩を経て同3年盛岡県に属した。明治4年頃郡内に同名の村があるため西安庭村と改称。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7013505