越喜来
【おきらい】

旧国名:陸奥
太平洋沿岸,越喜来湾に面する。北上山地の五葉山の支脈が南東にのびて,笠詰山・大窪山となり,さらに南東に釣魚峠・羅生峠・大六山があり,その東が首(こうべ)崎,南が大塩岬である。また西に今出山,南に大股山・綾里富士がそびえる。越喜来湾の湾奥にわずかな平野地がある。地名の由来としては,越喜来はもと越鬼来と書き,坂上田村麻呂が鬼を追って当地まで来たのでそう名付け,後世,鬼を喜の字に改めたものと伝えている。当地には所どころに首崎・鬼嶺・鬼万崎・鬼沢など鬼にちなむ旧跡があり,それは蝦夷の中の赤蝦夷といわれる者が,昔この辺に来て人々を暴虐したために名付けられたものであると伝承している(気仙風土草)。地内には,縄文中・後期の小出遺跡,同時期の中村貝塚,縄文前期~晩期のものと土師器・須恵器が出土する寺田遺跡,縄文前・中期の藤野田貝塚など多数の遺跡が散在している。また,新山神社には鎌倉期永仁3年・正安2年銘の板碑各1基,無紀年板碑1基があり(岩手の歴史論集2),中世城館には小出館・本丸館・高森館・平田城がある。小出城は小出集落の国道沿いに突出した南北に長い山一帯。山頂50m四方程の平場が本丸。3段の土壇がめぐる。東西80m・南北120m,高さ60m。本丸館は杉ノ下八幡神社の小山一帯標高20mの平山城。東西60m・南北100m。高森館は越喜来の西側山並の一角,高さ100mの一段高い地が城跡。東西200m・南北250m。平田城は館浦半島一帯。東北大学地震観測所のある東北突出部の台地が本丸,その反対側,南西突出部の台地が二の丸,半島基部の八幡神社付近台地が三の丸。東西300m・南北250mの大規模な城。城主は天正年間遠野合戦で討死した只野民部という。なお,当地の中世城館は,その規模・配置からみて,平田城を主に,他の3城館は平田城の関連施設か。
【越喜来村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【越喜来村(近代)】 明治22年~昭和31年の気仙郡の自治体名。
【越喜来(近代)】 昭和31年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7013971 |




