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大東町
【だいとうちょう】


(近代)昭和30年~現在の東磐井郡の自治体名。北上川に注ぐ砂鉄川とその支流興田川・曽慶川・猿沢川などの流域に位置する。大原町・摺沢町・興田村・猿沢村・渋民村の2町3か村が合併して成立。大原・摺沢・沖田・鳥海・中川・猿沢・渋民・曽慶の8大字を編成。町名は,当町が東磐井郡の極東である北部5か町村を一円とする広大な地域であることと,黎明東方から来る明るい希望とにちなんで,隆々とした発展を象徴してつけられたという。面積は278km(^2)。役場を大原に設置。世帯数・人口は,昭和30年4,756・2万9,136,同40年5,154・2万5,606,同50年5,137・2万1,409,同55年5,132・2万715。昭和55年は昭和30年の合併時から25年経過して世帯376の増加,人口8,421の減少となっている。これは人口の自然増加が減少したこと,高度成長時代に中学校および高校卒業生が集団就職により大都市へ職を求め,農林業・酪農などを捨てて離村したことが原因である。昭和31年度一般会計予算は1億2,340万円,同55年度一般会計決算は48億2,962万円。昭和30年の産業は,多角的農業経営を主軸とし,稲作・麦作の耕種農業のほか,特に養蚕・葉煙草栽培が行われ,この現金収入が年間2億5,000万円を数え,農家経済に大きな比重をしめている。畜産は従来県南における最大の馬産地であったが,近来酪農経営方式に転換しつつあり,広大な牧野の利用と相まって,今後の発展が期待される。林業は当町総面積の50%を占める森林資源に恵まれて林産物収入も特に多い。また,豊富な地下資源には硫化鉄鉱・石灰石・大理石などがあり,これらの開発は今後に期待すべきである。工業は,主として小規模工業でその経営数も少なく,大規模工場の誘致を努力している。商業は町内の消費世帯を対象とした小規模なもので,商店数308のうち94%は個人商店である。金融機関としては,岩手銀行2・興産銀行1で,そのほか4か所の郵便局と旧村ごとの農協も業務にあたっている。保健衛生の施設として,県立大東病院と国民健康保険組合直営の興田・摺沢・猿沢・渋民の4診療所がある。大原・摺沢には保育園が設置された。当地は県内陸部と海岸線を結ぶ交通の要衝にあたる。鉄道は一関から分岐する国鉄大船渡線摺沢駅が本町唯一の鉄道駅で,同駅から町内各地区にバスで連絡することができる。町内の道路網は逐次改良整備され,町内各地区ともバスで往復できる。通信は郵便局4局・簡易局2局がある。昭和56年の交通状況についてみると,国道343号の延長31.07km,県道の延長71km,林道の延長58kmで道路網は大きく発展し,バスの利用も増加した。列車利用者も増加したが自家用車の増加に伴い,逓減の傾向にある。電話加入は4,252台で町内普及率は82.9%と大幅に増加した。教育文化については,学校の統廃合によって,小学校11校・中学校4校,高校は県立大東高校と県立大原商業高校の2校となった。生徒数は小学校1,688・中学校1,028・高校1,173となっている。昭和55年大東図書館が開設され,各地区公民館の図書利用などで学習および自己研修に効果をあげている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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