盛岡
【もりおか】

旧国名:陸奥
杜陵とも称した(南部古実見聞誌)。旧名は不来方(こずかた)で,古志方(こじかた)ともいわれ,近世初頭に南部利直が居城を築く際に不来方の字を嫌って改名したというが,その年代には諸説がある。慶長11年8月17日付の利直の八戸直政にあてた文書(遠野南部家文書)には盛岡の名が見えているため,慶長年間に改名されていたことは確実である。北上川に雫石(しずくいし)川・中津川・簗川が合流する平野部を中心として,東は北上山地の分水嶺に及ぶ中津川・簗川流域の谷を含む地域。地名の由来は,南部利直の築城した城の名による。はじめ森ケ岡,のち森岡と称し,元禄4年6月の南部重信と永福寺の清珊法印との連歌「幾春も華の恵みの露やこれ(重信),宝の珠の盛る岡山(清珊)」によって盛岡と改めたという説(盛岡砂子)は俗説に過ぎないが,盛る岡(繁栄する岡)の意によって命名されたことは確かであろう。中津川流域など各所に縄文早期からの土器片が発見されている。
【盛岡城下(近世)】 江戸期の盛岡藩の城下町名。
【盛岡市(近代)】 明治22年~現在の自治体名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7016303 |




