有賀
【ありが】

旧国名:陸奥
北部は丘陵,南部は平地で南端を夏川が東流する。地名の由来は,往古吾勝郷金田荘福岡村に属したが,康平5年源頼義・義家父子が安倍氏と戦い,凱旋途中この地の斐野(あやの)城で越年,義家25歳を迎えた折,里人が当地の慣習により祝賀,義家父子は非常に喜び邑地を割いて有賀と名づけたという(封内風土記)。斐野城は有賀城ともいい,伝説では延喜年間藤原利仁将軍出陣の地で,義家越年後,家臣の清原隆久が代々居住し,明応年間大崎氏の家臣菅原右馬助,さらに高玉茂兵衛・田野崎玄蕃が居住したが,天正年間葛西・大崎両氏の合戦で葛西氏が勝ち,渋谷備前守,その子式部が居住することとなったという(安永風土記)。
【有賀村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【有賀村(近代)】 明治22年~昭和29年の栗原郡の自治体名。
【有賀(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7016643 |




