入谷
【いりや】

旧国名:陸奥
八幡・水尻(みずしり)両川の上流,北上山脈の山ふところを占め,10数か所の小盆地より成る。地名の由来については「山入り渓谷多き所故」(本吉郡南方風土記)とあり,地形景観に基づくものという。字信倉(のぶくら)に貞治3年と伝える古碑(千人塚・千人仏),字
葉沢(たらばさわ)普門院境内に山内大学墓と称する広永11年古碑など,南北朝から室町初期にかけての板碑約70基がある(志津川町文化調査)。永正4年西条遠江守信豊なる者が甲斐国から下って葛西氏に属し,字大船沢(おおぶねざわ)平山館主となったと伝え(後大舟屋敷御山守),また字水口沢の須藤豊後家は文禄元年から天和年間4代にわたり本吉郡南方御本判大肝煎,
葉沢鶴野館主山内伊賀の子孫と称する甚之丞は蚕業・製糸興隆の基をつくり,当地雲南神社養蚕神にまつられた。中世古館7城を有し,寛永18年竿答人頭111人中代数之ある者42人。本吉産金製鉄の中心で葛西武士団の拠点の1つと推定される(安永風土記・本吉郡史)。
【入谷村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【入谷村(近代)】 明治22年~昭和30年の本吉郡の自治体名。
【入谷(近代)】 昭和30年~現在の志津川町の行政地名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7016788 |




