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磐城国
【いわきのくに】


(近代)明治元年12月7日,旧陸奥国のうち,福島県東部から宮城県南部にかけての13郡を割いて分置された国。古代でも奈良期のはじめ,養老2年,陸奥国の南部を割いて,石城(いわき)・石背(いわしろ)両国を一時分国したことがあった。これは数年でまた陸奥一国制にもどった。明治の磐城・岩代(いわしろ)の両国もこの旧名によっているが,字が違っている。また,その含む範囲も,古代とかなり異なっている。古代石城国は,菊多(常陸国より分郡)・石城・標葉(しめは)・行方(なめかた)・宇太・亘理(わたり)の6郡。石背国は,白河・石背(いわせ)・会津・安積(あさか)・信夫(しのぶ)の5郡であった。しかし明治の磐城国は,白河・石川・田村・菊多・白川・磐前(いわさき)・磐城・楢葉(ならは)・標葉・行方・宇多・伊達・亘理の13郡で,郡数が倍以上になっている。磐前や楢葉は旧石城6郡のうちからの分郡であるが,白河(白川と区別しているのは,のちの東・西白川郡を河と川で区別したもの)・石川・田村・伊達諸郡は,古代は石背国に属していた仙道(中通り)地帯である。だから,この磐城国は,単なる海道・浜通りという考えではなく,陸奥南部の福島県地域を,東西均衡のとれた形に両分しようとする構想のものである。明治元年の七州分国令では,伊達郡は磐城国,刈田(かつた)・伊具両郡は岩代国であった。ところが,翌明治2年12月8日の布告で,この所属に入れ替えが行われた。伊達郡を岩城国へ,反対に刈田・伊具両郡を磐城国へ交換に編成替えした。こうしてのちの宮城県のうち,県南の亘理・伊具・刈田3郡は磐城国に所属することになった。亘理郡は26か村2万2,581石8斗1升,伊具郡は36か村3万9,442石9斗4升,刈田郡は33か村2万3,539石2斗3升であった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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