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奥羽山脈
【おううさんみゃく】


東北地方を太平洋側,日本海側の東西に両分する脊梁山脈名。すなわち,陸奥湾岸の南,夏泊(なつどまり)半島におこって南に高まり,青森県を津軽・南部地区に両分して南に走り,東に岩手・宮城両県,西に秋田・山形両県を分け,福島県を中通り・浜通りの東部地区と会津の西部地区に両分して栃木県境に至り,帝釈(たいしやく)山系に合して終わる。南北およそ500km。東北地方とその長さをほぼ等しくする。奥羽山脈は本来,第3紀の褶曲・隆起山脈で,1,000m台の連嶺山脈なのであるが,これにまったく重複して那須火山帯が走っているために,その上に新しい火山活動による噴出物が堆積して,2,000m台の高山になっているものも多い。奥羽山脈中の名峰・高山とされているものは,すべてこの火山に属するものである。八甲田山・八幡平(はちまんたい)・岩手山・栗駒山(1628m)・船形山(1,500m)・蔵王(ざおう)(1,841m)・吾妻・安達太良(あだたら)などがそれである。奥羽山脈は,東北日本を東西に両分するほどの激しい造山活動によって成立したこと,那須火山帯と重なっていること,などの理由により,豊かな鉱物資源とともに,全国的にも有数の観光資源をも東北に恵んだ。現在,鉱山資源はそれほどの意味を持ちえていないが,観光資源は数多くの国立・国定・県立の公園の指定・設定を促し,古代以来のみちのくへの旅の誘いと相まって,東北地方を日本有数の観光地帯としている。奥羽山脈が東北地方を南北に縦断,東と西に2大別したということは,その上に営まれる歴史と文化のありかたを定めるものであった。同じ東北でも,太平洋側は陸奥国,日本海側は出羽国,国の組織のしかたがまず異なっていた。同じ福島県でも,山脈の西側の会津はおのずから一国をなし,東の中通り・浜通りと優に対抗できる広さと政治と文化とを持っていた。青森県でも同様で,藩政時代,南部藩と津軽藩が不倶戴天の仇のように対立する地理は,大きくこの脊梁山脈が定めるところであった。古来,東北の幹線道路が,奥州街道・羽州街道のように南北に走り,今日もそれに沿って,主要国道が4号・7号・13号のように南北に走り,鉄道・新幹線・高速道すべて南北に中心都市を連ねるようになっているのも,基本はこの脊梁山脈が定めたものである。主要河川もしたがって,北上川・阿武隈(あぶくま)川・岩木川・雄物(おもの)川・最上(もがみ)川のように,すべてこの山並みに沿って南北に流れ,その流域に大きな平野ないし盆地を南北に連ねる地形をとる。こうして,その外側の北上・阿武隈・出羽丘陵もみな南北に走る形をとることになる。今日では東西を結ぶ国道・鉄道も多くなっているが,それにもかかわらず,東と西,それぞれに南北に連なる都市を結ぶ交通路が基本をなしているのは,奥羽山脈がやはり脊梁山脈として生きている証拠である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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