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鹿又
【かのまた】


旧国名:陸奥

鹿股とも書く。古くは河俣と書いたといい(安永風土記),光明寺所伝の応永17年銘の雲板に「奥州桃生郡河俣村」とあったと伝える(光明寺書出)。鹿又と書き改めたのは,江戸期,当地を知行した瀬上氏の紋所にちなむともいう(桃生郡誌)。江合(えあい)川と北上川の合流点の南に位置し,地名の由来もこの川の分岐点河股(かのまた)の意味である。本鹿又の北上川床に弥生中期の遺跡がある(宮城県遺跡地名表)。古代の牡鹿(おしか)郡の地。中世は深谷長江氏に属したらしい。光明寺境内に弘安8年から永徳2年の板碑群があり,横町に徳治2年と延慶2年の板碑がある(河南町誌)。戦国末期に伊達氏領となり,江戸期には所(ところ)が置かれ,家臣瀬上氏らの采地となった。
鹿又村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
鹿又村(近代)】 明治22年~昭和30年の桃生郡の自治体名。
鹿又(近代)】 昭和30年~現在の河南町の行政地名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7017272