下一栗
【しもいちくり】

旧国名:陸奥
「しもひとつくり」ともいう。江合(えあい)川流域北岸の平野部と丘陵部から成る。「伊達正統世次考」天文5年5月条には「下は青塚より上は富田・一栗に至る二十余郷」とあり,戦国期にさかのぼる地名である。富田より東側を下一栗,西側を上一栗と称す。戦国の領主一栗氏の拠った一栗城は下一栗宿の丘陵上にあり,東館・中館・小館・西館の連郭式の城址である。「伊達正統世次考」によれば,伊達稙宗の天文5年段階で岩手沢・一栗氏家は伊達氏に通じている。一栗兵部も伊達政宗に通じ,奥州探題大崎氏を攻めて没落させたが,天正18年には反旗をひるがえし,伊達勢に追われて最上(もがみ)(山形県)に逃れて死亡。一栗城は廃城となる。
【下一栗村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【下一栗(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7017943 |




