100辞書・辞典一括検索

JLogos

32

須江
【すえ】


旧国名:陸奥

北上川の南西。南北に長い独立丘陵に位置する。地名の由来について,「安永風土記」は深谷竿入れの際東の竿末に当たるので末(すえ)村と称したと伝えるが,本来は陶(すえ)に由来する地名か(河南町誌)。古代は牡鹿(おしか)郡の地。瓦山(かわらやま)・茄子川(なすかわ)・長者平(ちようじやだいら)に須恵器を焼いた平安期の窯跡群があり,総数50基以上にのぼる。特に著名な瓦山は奈良期~平安期に牡鹿郡家などの瓦を焼成,以降江戸期まで陶器を生産していた(宮城県遺跡地名表・矢本町史)。長者平に長者館,長者屋敷麓下の山根(やまね)に宿屋敷があり,奥州藤原氏時代の金売吉次の伝説がある(河南町誌)。中世は深谷保に属し,はじめ長江氏の所領。戦国期には葛西氏領か。鎌倉期に瓦山に月円坊永秀という僧が住み写経をしていた(宮城県史)。「河南町誌」によれば元応2年・元弘2年・文明10年銘板碑があったが今所在不明。字館(たて)に塩野田城(塩煮田館),細田に糠塚館があり館主はともに須藤勘解由左衛門と伝える(安永風土記)。細田は天正18年の深谷の役の戦場といわれ,葛西一揆の残党が伊達政宗に謀殺された場所とされている。殿入沢(とのいりざわ)・軍陣橋・細田塚・新左衛塚などはその由緒を伝えるものという。大正3年大槻文彦が遠祖の冥福を祈って建てた大槻但馬守殞命碑がある。葛西氏滅亡後伊達氏の所領となり,江戸期以降桃生(ものう)郡に属す。
須江村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
須江(近代)】 明治22~29年の深谷村の大字名。
須江村(近代)】 明治29年~昭和30年の桃生郡の自治体名。
須江(近代)】 昭和30年~現在の河南町の行政地名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7018083