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福田町
【ふくだまち】


旧国名:陸奥

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は宮城郡陸方田子村のうち。地名の由来は田子村田所の中心の意味で名づけられたと思われる(宮城県地名考)。七北田(ななきた)川右岸に位置する。「安永風土記」によると,当地は田子村のうち長さ5丁15間ほどの町場であり,足軽と百姓が入会居住していた。ここに置かれた足軽は福田御足軽とか福田歩卒(封内風土記)と呼ばれ,三町足軽と呼ばれたものの1つであった。「封内風土記」には歩卒68・男女546とあり,「安永風土記」では組頭2・床頭6・並組60と示されている。家数は77でうち借屋11。足軽組頭には1人につき1貫文,床頭と並組には1人700文の知行が与えられ,他に14貫66文の所が蔵入抱地として足軽面々持高とされ,合計62貫366文の在所。この地に足軽が置かれたのは,塩竈街道や船曳堀,さらには鶴巻米蔵などの警備のためと考えられ,弓組足軽であったようである。正保2年に足軽を置くことが決まり,同4年からこの地に配置された。近代に入って当地に高砂村役場が置かれ,村の中心となる。大正14年6月,仙台~西塩釜間に宮城電鉄(現在の仙石線)が開通したが,その際福田町駅が設けられた。同じ頃,塩竈街道の改修工事も進められ,これはのちに国道45号に昇格した。第2次大戦後は飛躍的に発展。昭和39年の新産業都市の指定とそれに続く仙台港の開港は,後背地としての当町の役割を大きくし,各種の工場や企業の進出を盛んにさせた。これにつれて土地区画整理事業も周囲で進められ,その結果,昭和43年以降住居表示が実施され,田子のうち字原島・字寺・字寺前・字町・字西浦・字町浦・字長沢・字富塚・字富塚前・字富塚後・字一本杉,福室のうち字川原・字砂押一番・字砂押二番・字砂押三番・字砂押四番・字向川原・字鶴巻二番・字鶴巻三番などで福田町1~3丁目が成立。昭和51年3丁目の一部が扇町7丁目となり,また田子のうち字馬放・字富塚後・字中島・福田町3丁目の一部などで福田町4丁目が成立。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7019001