石鳥谷
【いしどりや】

旧国名:陸奥
米代(よねしろ)川の左岸の名山円錐形の三ノ岳(さんのたけ)の東麓。松館の南西500mで,夜明島川の米代川への合流点の真西約1kmに位置する。「邦内郷村志」に花輪長福寺末寺在万谷村とある赤石山恩徳寺は,もと石鳥谷から三ノ岳麓の赤石にあった。その恩徳庵は,寿永3年平家追討の義経軍に従った花輪次郎行房が屋島で戦死したため,家来がその菩提を弔うべく志度浦道場寺から弥陀三尊を移して安置したことに始まると伝えられる。永禄9年秋田安東氏の来攻には石鳥谷館にこの地の武将たちは籠城して奮戦したという。「奥々風土記」には「石鳥屋村,今石鳥谷に作る。共に伊志杼夜と云」とある。もと石鳥屋と書き「いしとや」と発音することがわかる。
【石鳥屋村(中世)】 戦国期に見える村名。
【石鳥谷村(近世)】 江戸期~明治9年の村名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7019854 |




