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三輪村
【みわむら】


(近代)明治22年~昭和30年の雄勝(おがち)郡の自治体名。杉宮(すぎのみや)・貝沢(かいざわ)・赤袴(あかばかま)・大久保・野中5か村が合併して成立。大字は旧村名を継承,5大字を編成。当初,貝沢・赤袴両村は深堀村との合併を望み,野中村も西馬音内(にしもない)村との合併を望んだが,県の指導で5か村合併となる。村名は杉宮の古社三輪神社による。面積14.3km(^2)。成立時の戸数453・人口2,534。村役場は当初は杉宮字大門,のち貝沢字十三本塚に設置。「大正2年三輪村農事調査書」によると,明治23年456戸・2,611人・田718町(うち185町は他町村民所有)・畑152町(うち同13町)・山林原野111町が,大正元年には508戸・3,795人,田743町(うち同258町)・畑130町(うち同16町)・山林原野164町歩と変化。昭和7年三輪村経済更生委員会による「経済更生計画書」「産業経済改善参考資料」では,田805町(うち他町村民所有地402町)・畑128町(うち同37町)・山林原野114町(うち同36町)・農業472戸・2,997人。当地方における地主制進展の一典型例という。日清戦争1人・日露戦争1人・第2次大戦140人の戦没者を出す。三輪小学校(明治35年杉宮・日盛・貝沢3校統合により成立)・三輪中学校(昭和22年開校)がある。昭和30年西馬音内町・元西馬音内村・新成(にいなり)村・田代村・仙道村,明治村の一部と合併して羽後町成立。5大字は羽後町の大字に継承された。貝沢地区は湯沢市への分離合併を望んだが,調停により羽後町にとどまる。当時の戸数875・人口5,595。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7023116