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専称寺
【せんしょうじ】


山形市緑町に所在。真宗大谷派。山号は最上山。本尊阿弥陀如来。古くは天童市大字高擶に所在した。「出羽奥州両国浄土真宗開基最上郡高瑜庄願正御坊縁起」(天童市高擶願行寺所蔵)によると,文明15年7月同寺を開基した願正坊は越前菅生(現福井県)の人で蓮如の直弟であるという。蓮如の奥州巡錫に供して松島で別れ,関山(山形市)・河原子(天童市)を経て高擶に草庵を結んで布教したのが始まりといわれ,高擶願行寺には,裏に墨書で「蓮如上人ヨリ出羽国江下リ候節拝領,釈願正」と記された金襴五条袈裟がある。阿弥陀如来画像(願行寺所蔵)裏書には「大谷本願寺釈証如天文三年甲午六月十四日出羽国最上郡村山郡高楡村専称寺常什物,願主釈慶了」とあって,願生坊跡の念仏道場が専称寺の寺号を本願寺より下付されたのが天文6年とされるが,すでに以前から専称寺と称したものと思われる。天文15年2月2日の「証如上人日記」には斎の相伴として一家衆などと「出羽専称寺」の名が記されている。西村山郡河北(かほく)町大字谷地長願寺の開基専覚が本願寺証如から下付された方便法身尊像裏書には「天文十六年五月十一日,出羽国小田嶋荘 専称寺門徒願主谷地長願寺専覚」とあり,本願寺の教線が専称寺を通して近隣に拡大したことが知られる。天正9年10月17日本願寺顕如から下付された親鸞上人画像(願行寺所蔵)裏書には「羽州最上郡高擶村専称寺常什物也」とあり,同じく天正16年10月13日本願寺教如より下付された親鸞上人画像(東村山郡中山町大字岡柏倉家所蔵)裏書にも「高擶村専称寺」が記されている。「願正御坊縁起」によると「文禄元年ノ秋乗念ノ時義光公ヨリ山形ニ王堂小路二冊寺地ヲ賜リ……翌年道場庫裏惣門ナト立テテ,木仏尊像雛形御真影二軸ノ御影ヲ遷シ奉リ……山形専称寺ト号ス」とある。同縁起にはそのため「寺号同名ニ名乗ルニ及ハサレハ,高瑜真覚房ニテ住セラル,後チ願行寺ヲ申給フ」と記載されている。「最上氏系図」(寛政重修諸家譜)に「女子・母は某氏,豊臣秀次に仕へ,文禄四年八月二日秀次が事により害せらる」とある最上義光の娘駒姫の菩提を弔うためと,さらに専称寺からの最上家への接近もあって義光の保護があつく,慶長初年現在地に寺地を付され13か寺の寺内塔頭をもつ寺内町を形成した。慶長3年8月2日専称寺乗慶に宛てた「最上義光掟書」(専称寺文書)には,専称寺を通して領内真宗寺院を統制しようとした意図がみえる。専称寺所蔵の「羽州最上郡高擶専称寺願正影 願主釈教正」と銘のある願正上人画像と「釈妙英 慶長二年大谷教如(黒印)出羽守内室像」と銘のある最上義光夫人画像は県文化財。ほかに「羽州最上山形 慶長十一年丙午六月吉日 三条住人天下一道仁准之」と陽鋳された鐘をもつ鐘楼(県文化財)がある。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7025900