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長崎
【ながさき】


旧国名:出羽

村山地方,山形盆地中央部,最上(もがみ)川南岸に位置する。最上川と沼沢にはさまれ,東西に細長く集落が立地する。地名は長い崎(みさき)のように見えたことにちなむという。当地の地名は,現存する中世の文書・記録には見えないが,「中山系図」(寒河江市史編纂叢書19)によれば,中山氏7代継信が沼尻郷と呼ばれた最上川の湿原地帯を開拓し,至徳元年長崎に楯を築いたという。長崎楯は南北朝期には北朝方の最上氏と南朝方の大江氏の覇権を争う境界線守備の役割を果たしたが,同様の状態は戦国末期まで続いた。天正2年の「伊達輝宗日記」(伊達家文書/県史15上)の6月12日の条に「門九新岩よりふミ参候,長崎昨日十一日罷出候とのとうらい」と見え,最上義守と義光父子の抗争に際して,長崎城主中山玄蕃頭朝政が義守方につき,伊達氏とも通じていたことを示す。中山氏は天正12年最上氏に属した。最上義光分限帳(山形市史史料編1)によれば,里見民部が高1万7,000石で長崎城主となっているが,最上源五郎様御時代御家中并寺社方在町分限帳(同前)では高7,500石で中山玄蕃が長崎城主となっている。なお,当地の曹洞宗円同寺は文安元年長崎楯主中山式部少輔宗朝の開基と伝えられ,中山氏累代の菩提寺であった。現在山形市大字長谷堂の清源寺に所蔵される梵鐘は,もと円同寺にあったもので,嘉吉3年8月7日の銘があり県内三古鐘の1つに数えられている。地内には奈良・平安期の三軒屋遺跡がある。
長崎村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
長崎町(近代)】 明治30年~昭和29年の東村山郡の自治体名。
長崎(近代)】 ①明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7026568