長沢?
【ながさわ】

旧国名:出羽
最上地方,最上小国(おぐに)川の中流域に位置する。地名は付近の同川北岸の山岸を長沢根と称したことに由来するという(増訂最上郡史)。地内には縄文時代の経壇原遺跡がある。集落の南の山上には,長沢楯(鶴楯ともいう)と韮楯がある。前者は曽我十郎の子孫長沢監物が住したと伝えられる(新田本新庄領村鑑)。当地の地名は現存する中世の文書・記録には見えないが,永禄末年と推定される4月8日付,大高筑前守宛の土佐林禅棟書状写(秋田藩家蔵文書/県史15上)に「彼親類(清水義氏の親類の意)二,三十ケ処被構在城衆,悉此方ヘ被罷出候家風ニ候,号長沢仁不罷出故一,二ケ所未罷出候」とあり,この長沢とは長沢楯主であったといわれる長沢仁兵衛尉を指すと思われる。近くの曹洞宗福昌寺は同氏の菩提寺で長享元年の開山と伝えられ,また当地の新山神社には応仁3年の年紀を有する鰐口がある。
【長沢村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【長沢(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7026582 |




