庭月
【にわづき】

旧国名:出羽
最上地方,鮭川の中流沿岸に位置する。当地の地名は現存する中世の文書・記録には見えないが,天正5年閏月日付,奥州中新田城主大崎義隆の宛行状(楓軒文書纂/県史15上)は「庭月式部少輔」にあてられている。庭月氏は鮭延(さけのべ)城(現真室川町)主鮭延氏の庶族で,庭月城を築き,そこに住したので庭月氏と称した。同氏は鮭延氏の支配のもとに,式部少輔綱政・和泉守綱任・理右衛門尉広綱の3代にわたり,元和8年の最上氏改易まで庭月城主をつとめた(増訂最上郡史)。なお「増訂最上郡史」によれば秋田県雄勝郡羽後町杉宮の三輪神社には,元亀3年8月,庭月式部少輔綱政が奉納した巡礼札が伝えられているというが,「秋田県の紀年遺物」では文亀3年8月としており,なお検討を要する。天正9年に至り,最上義光は最上地方に勢力を伸ばし,鮭延城を攻撃しているが,同年のものと推定される5月2日付,庭月宛最上義光書状(国会図書館所蔵文書/山形市史史料編1)によれば,庭月氏はこの時最上氏に下ったことがわかる。また翌天正10年の義光の庄内攻めに際して出された,同年のものと推定される3月22日付の最上義光書状は庭月和泉守にあてられており,天正16年と推定される2月16日付の最上義光書状(楓軒文書纂/県史15上)も庭月和泉守にあてられている。地内には縄文時代の岩木野遺跡がある。
【庭月村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【庭月(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7026903 |




