安達郡
【あだちぐん】

旧国名:陸奥
陸奥国の郡名。初見は「延喜式」。「和名抄」は訓を「安多知」とする。東は行方(なめかた)郡と標葉(しねは)郡,西は耶麻(やま)郡,南は田村郡と安積(あさか)郡,北は伊達(だて)郡と信夫(しのぶ)郡に接する。中通り北部に位置する。中央を南北に阿武隈(あぶくま)川が貫流し,東部は信夫・耶麻両郡と境をなす安達太良山の山麓が広がり,西も山地部にあたる。平野部は阿武隈川流域に広がる。郡名の由来は古くから歌などに見える安太多良(安達太良山)の「あたたら」から転化したものと推定される。現在の二本松市・安達(あだち)郡安達町・東和町・岩代(いわしろ)町・本宮(もとみや)町・大玉村・白沢村の地。
(古代)郡の設置は「延喜式」で「分安積郡置安達郡」と見え,延喜6年正月に安積郡から分立したとある。
(中世)当郡は中世には安達荘で呼称されることが多いが,郡名としては建武2年8月28日の武石胤顕軍勢催促状(飯野文書/県史7)や貞和3年8月日の岡本隆弘代和賀弥七著到軍忠状案(岡本文書)に安達郡と見えており,南北朝期までは郡名が使用されていたことがわかる。
(近世)天正19年豊臣秀吉は奥羽仕置により当郡を蒲生氏郷に与えて会津領となり,領主は慶長3年上杉景勝,同6年再び蒲生氏と替わった。
(近代)明治12年郡区町村編制法施行により成立。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7028689 |




