皮籠村
【かわごむら】
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旧国名:陸奥
(近世)江戸期~明治9年の村名。中通り南部,谷津田川南岸に位置する。白河郡のうち。はじめ会津領,寛永4年からは白河藩領。検地は慶安3年。村高は,文禄3年の蒲生高目録では29石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに175石余。村名は,平安末期出羽の商人橘次・信高兄弟が砂金を交易して戻る途中殺害され,群盗が兄弟の持つ皮籠を開き財宝を奪い,以後吉野宿を改めて皮籠と呼んだという。奥州街道沿いの村で,白坂駅と白河城下の間にあり,南北の長さ1丁50間・幅8間。化政期の家数17軒,黄金橋・金分田など橘次兄弟伝説にゆかりのある地名が残る。鎮守は庭渡神社,ほかに三社八幡宮があり,橘次兄弟を相殿にまつる。村の南部に梵字1字の阿弥陀石があり,湿瘡に験があるという(白河風土記)。旧福島県を経て明治9年福島県に所属。同年白坂村に合併。
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![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7030391 |