白津村
【しろうづむら】

旧国名:陸奥
(近世)江戸期~明治8年の村名。「しろつ」ともいう(新編会津)。会津地方東部,猪苗代盆地東縁部に位置する。耶麻(やま)郡のうち。古くは月輪荘に属したという。会津藩領。川東組に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録では猪苗代郡に属し465石余,享保3年602石余(小林家文書)。文化15年の村日記(県史10下)および「天保郷帳」ではともに600石余,「旧高旧領」では白津村南分340石余・白津村北分261石余。享保3年の家数83軒・人数322,馬46,文化3年の家数42軒・人数177,馬42(小林家文書)。化政期の家数42軒(新編会津)。鎮守は永保年間の建立とされる白幡八幡宮。蘆名時代猪苗代城には佐原経連が入り,村の北部の山腹に八手山館を築いた。この時白旗が10日余も南方の山林にかかったのでたずねてみると,八幡宮の神像が廃祠に安置されていたため祠を再興したという。さらに,のち会津藩保科正之も再興した(新編会津)。猪苗代亀ケ城築城以前はこの八手山城が三浦経連の居所であったという。村の中央部に地蔵堂がある。秋中寺・徳林寺跡があり,いずれも下舘村曹洞宗小檜山隣松院末寺であった(同前)。村の東部にからかさ松がある。肝煎は神野家。慶応4年の産物は牛の根石(猪苗代町郷土誌稿)。明治元年10月の村役人排斥の一揆で休役になった旧肝煎は12月に帰役願を民政役所に提出した(小林家文書)。明治8年内野村ほか2か村と合併して八幡村となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7031643 |




