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飯沼村
【いいぬまむら】


(近代)明治22年~昭和29年の自治体名。はじめ岡田郡,明治29年からは結城郡に所属。鬼怒(きぬ)川下流右岸に位置する。鴻野山・崎房・馬場・古間木・古間木沼新田・大沢新田・鴻野山新田・馬場新田・古間木新田・栗山新田・孫兵衛新田・佐平太新田の12か村が合併して成立。旧村名を継承した12大字を編成。役場を鴻野山に設置。村名は当地一帯がかつては飯沼に臨み,古代の飯潴郷,中世の飯沼の東側に位置し,旧村の多くが享保年間の飯沼新田開発に深くかかわり,この時成立した新田村であったことに由来する。明治24年の戸数516・人口3,458,厩159,船143。飯沼・古間木沼に造成された新田地帯は江戸期以来排水問題に苦慮し,冠水の連続であった。明治43年飯沼の新田地帯は一面に冠水。大正7年飯沼耕地整理組合を設立,飯沼新田の安定耕地化を図った。古間木新田・鴻野山新田の関係地主たちは一斉にこれに反対,この2地区は除外された(飯沼開発百年史)。大正9年の世帯728・人口4,211。同13年の世帯687・現住人口4,465で,出寄留者の割合が多く,現住人口の約2割弱を占めていた(結城郡郷土大観)。同15年常総鉄道石下(いしげ)駅と孫兵衛新田間のバスが開通(石下町明治百年史年表)。昭和8年から県営飯沼川沿岸農業水利事業が始まり,同20年に完成したが,この間,昭和10・13・16年の3回大洪水に見舞われ,飯沼の新田地帯が一面に冠水(飯沼開発百年史)。同23・25年の豪雨によっても冠水し,同24年度から東仁連川改修事業が起工されるに至った(飯沼開発百年史)。世帯・人口は昭和10年744・4,602,同25年895・5,697。同28年世帯875・人口5,684,業態別世帯数は農業727・工業7・商業29・サービス業31・公務自由業78・その他3(合併史)。昭和29年石下町の一部となり,村制時の12大字は同町の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7035351