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鵠戸沼
【くぐいどぬま】


岩井市北部から境町南部にかけてあった沼。利根川の瀬替えにより猿島(さしま)台地の浸食谷が川の堆積物で堰止められてできたもので,面積約5.6 km(^2)・水深1~2m,周辺には低湿地が広がっていた。明治42年埼玉県栗橋町から下流の利根川左岸築堤工事が進むに従って,利根川の遊水池となった。鵠戸沼沿岸地域は,本来水田が少なく,利根川の増水時には排水できないため3年に1回は洪水の被害を受けたという。鵠戸沼干拓については,鵠戸沼耕地整理組合をめぐり,約500haの水田開発により小作料の下落が予想され,一部の地主階級と小作階級の対立などがあり,干拓賛成派と反対派に分裂した。組合の結成は昭和8年に認可されたが,創立総会は失敗,さらに満州事変から支那事変に突入したため開墾助成法がなくなり,4割の補助がなくなって干拓運動は一時挫折。しかし食糧増産のため昭和15年農地開発法立法を契機に農地開発営団に干拓を申請し,岩井町に営団事務所が置かれた。同17~22年に幹線水路・揚水機が設置されたが,昭和22年のキャサリン台風でそれまでの干拓工事はすべて無に帰した。同年農地開発営団が発展的に解消し,農林省直轄の国営事業として引き継がれ森戸干拓事務所が置かれた。同24年鵠戸沼干拓期成同盟結成。鵠戸沼干拓を森戸干拓とよぶのは,鵠戸沼の名称が難解であることと沼の干拓の採択に森戸村農民が熱心であったからだといわれる。干拓により造成された耕地は610ha(水田464ha・畑75ha・宅地33ha・水路38ha),年間の生産量2万石に及んだ(鵠戸沼干拓史)。管理は鵠戸沼土地改良区。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7036826