足崎
【たらざき】

旧国名:常陸
新川下流域の真崎浦南部に位置する。地名は地形に由来し,「多良」は「太郎」で兄弟のなかで1番目の男子,つまり一番大きいものの意にもとれるところから,真崎浦に突き出した大きな崎をいうとする説がある(勝田市史)。真崎浦を臨む台地には足崎西原遺跡・館B遺跡など先土器時代~奈良・平安期にかけての遺跡がある。字原の寺からは奈良末期から平安初期の瓦窯跡が発見され,蓮華紋の軒丸瓦とともに軒平瓦,平瓦などが多量に出土した。吉田広幹の三男里幹(多良崎三郎)の居館奥山館跡と,多良崎城跡がある。多良崎城は標高30m,南・北・西の三方が深田に囲まれた断崖の上に築かれた連郭式の平山城で,本郭には一辺約55m・高さ約2.5mの土塁が方形にめぐらされ,二の郭にも高さ約2.5mの土塁がほぼ三角形にめぐらされている。昭和48年の実測調査の際,本郭内の屋形跡から大量の常滑焼大甕の破片が出土し,多良崎城は鎌倉末期から南北朝初期には築城されていたと推定されている(勝田市史)。年月日未詳の常陸大掾伝記断簡写に「多良崎……等ハ吉田ノ一族也」と見える(吉田神社文書/県史料中世Ⅱ)。文禄4年7月16日の中務大輔当知行目録写に「一,六百五十五石八斗六升五合 たら崎」と見える(佐竹義秀文書/家蔵文書)。
【足崎村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【足崎(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7038275 |




