永国
【ながくに】

旧国名:常陸
霞ケ浦の西,花室川下流左岸に位置する。縄文時代の永国遺跡がある。文禄5年正月20日の三崎新右衛門充結城秀康黒印状に「高弐百石者,土浦領永国村内」,同年3月13日の三崎道門充結城秀康黒印状にも「高弐拾八石九斗四升六石,土浦領永国村之内」と見える(武州文書/結城市史)。結城秀康の所領に土浦領が含まれ,当地では,文禄3年12月14日に青木・堀田・玉勢・加藤の4名が太閤検地を行い検地帳を作成し,検地帳によれば反別46町9反余(土浦市史)。この検地をうけて,文禄5年に三崎氏に対し知行充行がなされたものと思われる。なお,康永2年8月3日上杉重能が悟性寺に,「常陸国信太庄内長⊏⊐」を寄進している(浄智寺文書)。必ずしも断定はできないがおそらく信太荘上条に位置した永国のことと思われる。
【永国村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【永国(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7038615 |




