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赤見城
【あかみじょう】


町屋城ともいう。中世の平城。佐野市赤見町町屋に所在。市史跡。藤原姓足利俊綱は仁安2年足利城から佐野能忍寺郷に移り,安元元年に当城の築城を開始し,治承2年に落成し居城としたと伝える。俊綱は同5年,志田義広が源頼朝に背いて挙兵すると,義広に応じたが,俊綱の臣桐生六郎は頼朝方に内通し,小中村諏訪で俊綱を殺害した。建久元年,戸賀崎義宗が城主となり城を再興。その後,永禄2年,戸賀崎家の子孫赤見伊賀守は,佐野泰綱に背いたため攻められ,常陸国に敗走。以後,当城は佐野家が断絶する慶長19年まで,佐野家の支城としての機能を果たした。現存する遺構は,方形状に土塁が囲繞する本丸とその付近であるが,本丸西方には南北に土塁が残存するので,城域は東西約500m・南北約530mの不整方形と推定される。本丸内側の土塁は東西約50m・南北約60mである。本丸の北東に北の丸,東に二の丸,南に三の丸が存した。本丸を囲繞する土塁は基底幅5m・高さ3mで,南東部が破壊欠失している。土塁の外周西側と北側に堀が残存し,さらにその外側にも土塁と水濠がみられる。なお,外郭堀の外側南西部に西の丸(40m×75m)が存在していた。城内地域に町屋集落があり,城郭と領民との関係を知る上で重要。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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