大久保
【おおくぼ】

旧国名:下野
荒川と鬼怒(きぬ)川の形成した沖積地に位置し,全域がほぼ平地をなす。江戸期にまとめられた「氏家宿古記録集」や「氏家記録伝」などによれば,当地は中世に「氏家二十四郷」の1つであったという。中世に当地は氏家郡内の郷村の1つで,氏家氏・宇都宮氏の支配下にあったと考えられる。地内の西郭には,大正6年頃まで,宇都宮氏の被官大久保氏の居城と伝えられる大久保城があった。「宇都宮興廃記」によれば,観応2年の上野国那波荘合戦の討死者として大久保玄蕃頭藤原秀清があり,康暦2年の裳原合戦に宇都宮方として大久保蔵人,天正13年の薄葉原合戦に塩谷義綱の麾下として大久保太郎吉宗の名が見える(宇都宮市史)。また,「今宮祭祀録」によると,今宮神社の祭礼に際して,明応4年から天正14年までの間に6度にわたり大窪郷から大久保(大窪)修理亮や糟谷源兵衛などが頭役を勤仕したという(西導寺蔵/宇都宮市史・いまいち市史)。
【大久保村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【大久保(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7040933 |




