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大沢
【おおさわ】


旧国名:下野

大谷(だいや)川・赤堀川・田川などが形成する今市扇状地の扇端部に位置する。当地は,建久年間源頼朝来狩の折に広大な荒地であった当地に従者4人を居住させたのが始まりといわれ,地名は,頼朝のこの恩沢にちなんではじめ恩沢と称し,のちそれが大沢(おおたく)となり,さらに現在の読みになったと口碑にある。字的場には茅山式・関山式・黒浜式・諸磯B式など縄文早期~前期の土器が出土する的場遺跡があり,字地蔵上の大沢遺跡からは少量だが縄文時代の特色を強く残した弥生式土器片が採集された。ほかに弥生中期の高内遺跡がある。木和田島村境辺りには八日市という地名があるが,同所は鎌倉期の日光街道(鎌倉街道)の宿場と考えられ,江戸期日光東照宮の造営で宿場は現在地に移転したと思われる。元禄4年5月に作成された「日光山常行三昧堂新造大過去帳」によれば,大沢郷は「日光山往古社領六拾六郷」の1つで日光山衆徒36房の1つ光樹院の寺領であったという(輪王寺蔵/県史中世4)。年月日未詳の衆徒領三十七郷段銭日記には「大沢郷 壱貫七百八十九文」と見える(二荒山叢書)。また,慶長17年8月6日付の関東八州真言宗諸寺連判留書案(醍醐寺文書/県史中世4)には「下野国日光山大沢 八月廿九日巳刻 滝蔵寺」と見える。滝蔵寺は寺伝によれば建仁2年の創立という。
大沢村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
大沢村(近代)】 明治22年~昭和29年の河内郡の自治体名。
大沢(近代)】 明治22年~昭和29年の大沢村の大字名。
大沢町(近代)】 昭和29年~現在の今市市の町名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7040958