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【とどろく】


旧国名:下野

北の鬼怒(きぬ)川と南の大谷(だいや)川の間,鬼怒川右岸の最も高い段丘上に立地し,両川沿いに幾筋かの沢が発達している。字関ノ沢には関ノ沢遺跡があり,阿玉台式・加曽利EI式など縄文中期の土器片や打製石斧などを出土している。字松原には轟城跡があり,中世城館跡調査に伴って縄文時代の住居跡も発見された。住居跡は浮島式などを伴った縄文前期~中期の遺跡である。轟城は鎌倉幕府の重臣畠山重忠の末子重慶が築いたと伝え,一辺80mの方形の土塁をよく残している。元禄4年5月に作成された「日光山常行三昧堂新造大過去帳」によれば,土々呂久郷は「日光山往古社領六拾六郷」の1つで日光山衆徒36房の1つ大聖房の寺領であったという(輪王寺蔵/県史中世4)。年月日未詳の衆徒領三十七郷段銭日記には「土々呂久郷 三貫七百六文」と見える(二荒山叢書)。
轟村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
轟(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7042786